大正時代の農学校の教科書

先週の台風2号の風の影響で、とうもろこしが寝てしまいました。。。

といっても、幹が折れているわけではなく根元から傾いたようで、ダメになったわけではないと思います。
とうもろこしは、幹の上の穂の部分がおしべで、ヒゲの部分がめしべなんですけど、ヒゲが茶色く変色してきて受粉していると思いますので、多分大丈夫だと思います。
ちなみにヒゲの一本一本が実になりますので、当然ながらこの受粉は重要なわけです。

よくもわるくも天候次第ですが、若干遅れ気味の生育も、これからの天候で回復することでしょう。

話は変わりますが、”とうもろこし”ですが、明治時代は”たうもろこし”と表記していたようです、
実は大正時代の農学校の教科書(教員用のもの?明治40年9月の編者の寄せ書きあり)に、”たうもろこし”の栽培方法や用途なんかが載っていました。
日本では天正時代にポルトガル人により伝わったことや、主には間食で食べられていたことや、飼料として使われていたようです。


今の茨城県立真壁高校が、真壁郡立農学校だったころの教科書として使われていたようです。

≪以下、抜粋≫ ※多少注釈を入れてます。
第九章 たうもろこし 禾本科(イネ科の旧称)
第一節 用途および由来
(一)用途
(イ)玉蜀黍の穀實は、滋養分に富み、ことに脂肪を含むこと多きがゆゑに、廣く人畜の食用に供せらる。その挽割は、米に混じて飯に炊き、西洋にては、酒精・澱粉等の製造原料に供し、また麥粉(麥=麦)に混じて麺包に製し、その稈葉は、家畜の蒭草(まぐさ)に供する等、用途頗る廣し。
(ロ)わが國にては、概ね、その穀を間食に供す。随ひてその作付は、自家用に供するもの多けれども、ただ北海道にては家畜の飼料に供せらるること多きにより、その作付廣く、耕作頗る盛んなり。

(二)由来
玉蜀黍は、南亜米利加(南アメリカ)の原産にして、現今盛に栽培せらるるは、北米合衆国および南部歐羅巴(南部ヨーロッパ)なり。わが國には、天正年間葡萄牙人(ポルトガル人)はじめてこれを傳えたりといふ。

第二節 気候および土質
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大正時代の農学校の教科書 への2件のコメント

  1. サマークローズ より:

    お疲れ様ですm(__)m
    今回の台風は、確かに大きい台風でしたね(^^;

    あの震災の後なので心配しました(汗)
    とうもろこしは、地域により確かとうきなどと言ったよな気がします

    自分は、塩降って煮たとうもろこしが好きですm(__)m

  2. スタッフ より:

    ”おどめ””がぎめ”らは、”とうこもろし”と言うようですね(笑)

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