古墳探検記【1】

古墳探検記【1】

雨引小歴史新聞より

【私の特集新聞・古墳新聞、昔の歴史新聞】

 青木大社塚古墳は、羽田と青木の山塊にあります。道路の近くにあるので、注意してみると「塚」だということがわかります。私たちが調べただけでも5つの塚がありました。その中に、大きな「塚」と丸い小さな塚がありました。先生の説明によりますと「前方後円墳」というそうです。また、一定の地域に、大小の古墳がいくつもあるところを「古墳群」というのだそうです。
 この一帯は、まわりが山林でおおわれ、空も見えないくらいです。古墳が作られた1700年前ころは、周囲に木はなくハニワ(埴輪)が並べられ、雨が降っても土が流れないようにしていました。見晴らしのよい場所だったでしょう。

【村内新聞・大和村の古墳新聞】

 私は、古墳について調べました。
 古墳とは、大昔の人がおさめられている墓のことです。円の形をしたものを「円墳」、四角形の形をしたものを「方墳」、それを組み合わせたものを「前方後円墳」というのだそうです。
 古墳におさめられている人は豪族とよばれるえらい人で、はじめは米を作る小さなムラの指導者でしたが、だんだん勢力をのばし、まわりのムラを従え、小さなクニをつくって、“王”となりました。そんな王が日本にはたくさんいたそうです。
 その王は、後に大和朝廷に統一され、一地域の支配者となって、土地と人をおさめていました。そんな人が、生きていた時大切にしていた、鏡、剣、かぶと、馬具、金・銅製の鈴、かざりのついた大帯などが、棺の中におさめられています。
 それをねらって、墓どろぼうは中の宝をぬすみ、高く売るのだそうです。

 新学期早々、本年度からスタートした村民講師として、雨引小学校(木代清校長)6年生の社会科授業に招かれ、村内にある古墳の現地見学会に参加しました。

 この学習は、大和朝廷の国土の様子を身近にある古墳や遺物を調べることから理解する、ということで計画されたものです。
 先生方と教育委員会職員との連携による資料の作成、探検棒の準備など協力体制は見事なものでした。
 児童たちは、この古墳探検学習で「何かを発見しよう」と期待に胸ふくらませて、役場庁用バスに乗り込みました。

 探検学習は、青木大社塚古墳群の見学からはじめました。
 古墳に関する興味と関心を高める意味で用意した「武人のひざまずく埴輪」(青木堂の入古墳出土・国指定重要文化財)の写絵を全員に配りました。
 「すごいな~。オレらの村にも、こんな立派なものがあったんだ。」と、感激していました。

 児童たちがこの学習で学んだことを、手づくりの歴史新聞にまとめ送ってくれました。
 単なる資料や参考書の丸写しではなく、実地で見聞・体験したことをメモにとり、自分の力でまとめたものです。

 その新聞とは、
(1)事実を、真剣に見ようとする目が鍛えられている。
(2)物事を、創造的に表現しようとする力が育っている。
 ということです。児童の知的好奇心には驚かされました。その一部を紹介します。

文:舘野義久

取材協力
奥村ふみ子教諭(雨引小)
久下英彦教諭(雨引小)


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