古仏修復工房の仏像修復
国宝や重要文化財などの仏像の修復にかかわってきた桜川市の飯泉太子宗(としたか)さん(32)が、文化財の指定から外れ壊れていく地域の古仏を修復し、後世に伝えるNPO古仏修復工房を昨年8月に開設。これまでに培った技術と豊富な知識を生かし、より多くの仏像文化財を救い出そうと地域に根差した活動を続けている。
「管理されずに放置されたり雨ざらしの仏像を少しでも修繕できれば」と飯泉さん。写真左は修復した北向観音の聖観世音菩薩立像
「仏像の修理を仕事にしていると手先が器用そうに見られますが、実際はそうでもなくて。器用じゃなくても仏像に愛着があればできる仕事です」
古い仏像や人形、人を描いた絵などが好きで、鳥獣戯画図や地獄絵図などの模写に熱中した子供時代は生まれ故郷の桜川市(旧真壁町真壁)で過ごし、山形にある全寮制の高校を卒業。東北芸術工科大学文化財保存修復学科で文化財修理を学びこの世界へ。97年に京都の財団法人美術院国宝修理所に入所。
岡倉天心が開いた同修理所は、日本の国宝や重要文化財の仏像を唯一修理できる施設。「国宝の古仏を目の当たりにし実際に触れながら多種多様な修復に携わり、いい経験ができました」。
6年間黙々と修復に励み、さらに別の修理所でも1年間腕を磨き自信を付けた。しかし、30歳を前に古仏の修復に関わりたい一心で突っ走ってきたそれまでの生き方を見つめ直し、もっと広い世界をのぞいてみたいという思いに駆られた。
文化の異なる多くの人と出会い仕事の糧になるような経験がしたい―。そんな思いが頂点に達した05年、約1年半にわたって世界の文化遺産などを見学しながら26カ国を巡り、各国の文化に触れた。
「遺跡の中に人が住んでいたりして驚きと楽しさの毎日。文化財に対する意識が希薄な国もあって、自分は文化財を大切にする心を持った日本人なんだということを再認識しました」。そして「日本の指定文化財は行政で守られ、指定外の文化財の多くは管理されず放置されている」という現状も改めて痛感した。
不足分のパーツは彫刻刀で作成
帰国してすぐの06年8月、地元の古仏修復にかける情熱がふつふつとわき出したのを機に実家に戻り、明治時代に建てられた小学校校舎を改造し「NPO古仏修復工房」を開設した。周辺にはお堂や仏像、野仏など文化財が想像以上に残る一方、貴重な地域資源に対する周囲の意識は低かった。仏像などの文化財は管理されなくなると次世代に残すのは困難で、それをなんとかしたいと強く願う。
仏像が修理されずに放置される原因の一つに高額な修理費がある。数十万円から数百万円、ものによっては1000万円以上かかることもあり、思うように修理できないのが現状。
古仏修復工房では指定文化財の修理は有償だが、指定外の古仏は無料で修理。その修繕にかかる費用を個人や企業会員からの寄付で賄い、安く上がる仕組みを模索している。また、地元の文化財をより身近に感じてもらうため、仏像の修理過程の報告会や見学会なども実施。同様の工房で修理過程を公開する例はほとんどないだけに好評で「地域の文化財などに目を向けてもらうきっかけにしたい」と話す。
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去る5月末、小野小町伝説で知られる石岡市小野越の地元の人たちから、北向観音堂に安置されている聖観世音菩薩立像の修復の依頼が来た。
修復前の聖観世音菩薩立像
この観音像は木製で高さ約60センチ。江戸時代の地方仏師の作で、一木(いちぼく)作りのしっかりした構造だが、これまで両腕などが欠落したまま観音堂に納められていて、今年4月に堂内の箱の中から欠損部分が発見された。両腕のほか化仏(けぶつ)と呼ばれる額の阿弥陀像、左右手小指、左手人指し指、左天衣(てんね)、台座、蓮弁(台座のはすの花びら)、光背(こうはい)の一部を修復。
「欠損部分が見つかるのはまれで、地域に大切にされているのも珍しい。余計な手は加えず、古い状態を生かして修理しました」
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古仏の修復は、さまざまな情報を一つ一つ検証し想像力を膨らませて行う。依頼元の歴史をひも解いて時代考証し、それを造った仏師の手法を理解して修理。
「欠落したパーツは新たに作ります。修理だけに留まらず、歴史的、文化的なことをさかのぼって調べていく探偵のような作業も楽しみの一つです」