【真壁の登録文化財top】
【1】~【10】、【11】~【20】、【21】~【30】、【31】~【40】、【41】~【48】・番外
【1】谷口家住宅[やぐちけじゅうたく]
【2】大森家住宅[おおもりけじゅうたく]
【3】谷口義衛家住宅[やぐちよしえけじゅうたく]
【4】増渕宥市家住宅[ますぶちひろいちけじゅうたく]
【5】橋本旅館[はしもとりょかん]
【6】桜井家住宅[さくらいけじゅうたく]
【7】佐藤家住宅[さとうけじゅうたく]
【8】増渕家住宅[ますぶちけじゅうたく]
【9】中村家住宅[なかむらけじゅうたく]
【10】関根家住宅[せきねけじゅうたく]
【1】谷口家住宅
▲中村裕道画集より
▲谷口家から筑波山の眺望は、今までいろんなパンフレットで紹介されてきました!もっとも見慣れた真壁の風景のひとつかもしれません。
① 店舗〔明治33年〕
② 北袖蔵〔江戸末期〕
③ 南袖蔵〔明治末期〕
④ 門〔明治末期〕
⑤ 主屋〔明治初期〕
⑥ 離れ〔大正期〕
⑦ 石蔵〔大正初期/大正後期増築〕
⑧ 奥蔵〔明治初期〕
⑨ 穀蔵〔明治初期〕
谷口家は、真壁でも指折りの旧家で、その歴史は江戸時代初期にまで遡ることができます。現在の当主は20代目にあたり、現在地に居を構えたのは遅くとも11代目の頃と伝えられています。
幕末には名主も務め、絞油及び醤油の醸造を営んでいたことが知られ、明治期になって座繰り製糸を始め、さらに明治14年には蒸気を利用した谷口製糸所を設立し、県内有数の製糸所として発展しました。
▲店舗、南袖蔵、門
昔の赤い郵便ポストが建物とのコントラストで印象的です!もちろんポストは現役!
▲穀蔵
▲登録標
【2】大森家住宅
▲主屋、長屋門、石蔵
▲中村裕道画集より
① 主屋〔大正初期〕
② 長屋門〔大正初期〕
③ 石蔵〔大正6年〕
大森家は、大正元年にこの地で製糸業を始めました。現存する主屋と長屋門はその際に建設されたものです。
▲長屋門
▲登録標
【3】谷口義衛家住宅
▲長屋門及び主屋
① 長屋門及び主屋〔明治初期/明治25年頃移築改造〕
② 土蔵〔江戸末期/明治25年頃移築〕
谷口家は、明治25年、谷口本家から分家しました。その際、長屋門は近隣の旧大和村雨引から移築し、正面右側に土間部分を張り出し、その奥を帳場風に改造、さらに背後に住居部分を増築したそうです。
▲登録標
【4】増渕宥市家住宅
① 表門〔昭和初期〕
② 土蔵〔昭和初期〕
増渕家は、近代になって大工職人となり、特に先々代は、明治中期頃から昭和初期に活躍した名大工で、多くの建物を手懸けるとともに多数の弟子を育てました。
現在建物手懸けた建物で現存するものとしては、谷口家店舗〔明治33年〕、中村(一三)家見世蔵及び住居〔大正2年〕、橋本旅館〔昭和4年〕などが知られています。
▲土蔵
▲登録標
【5】橋本旅館
▲主屋
▲中村裕道画集より
① 主屋〔昭和4年〕
② 土蔵〔明治期〕
この地には江戸時代末期、代々医業を営む仁瓶家4代目の屋敷があり、下総国栗橋出身の松蔵が敷地を借りて旅館を開き、妻の実家の「橋本屋」を名乗りました。
松蔵はやがて養子となり仁瓶家5代目を継ぎ、以降、代々旅館の経営にあたりました。現在の店舗は、仁瓶家7代目が建設したものです。
建設に携わった大工は、増渕市太郎と大山高湯之助です。
▲登録標
▲店舗
▲中村裕道画集より
① 店舗〔明治初期/大正10年頃増築〕
② 主屋〔大正10年頃〕
③ 西蔵〔明治中期〕
④ 新蔵〔明治後期〕
桜井家は、江戸時代中期頃にこの地に移り、曾祖父の代になって肥料商を営むようになり、その後は質屋も兼ねるようになりました。
祖父は、肥料商を継ぐ傍ら、筑波鉄道株式会社、筑波運輸株式会社、真壁物産米粉株式会社、加波山興業株式会社、真壁製糸合資会社などの設立に関わり、真壁でも有数の実業家として知られた人物です。
▲登録標
▲表門
▲中村裕道画集より
① 表門〔明治初期〕
佐藤家は、江戸時代以来の旧家で、明治期には菓子製造業を営んでいました。
現存するのは薬医門形式の表門だけですが、かつては真壁でも他に例を見ない天保年間(1835年頃)の建設とも伝えられている3階建ての店舗があったそうです。
▲松の木象嵌、大工さんの粋な心意気が伝わってくるようです!
▲同じく梅・竹の木象嵌です。縁起よく松竹梅でした。
▲登録標
▲店舗・長屋門
▲中村裕道画集より
① 店舗〔明治6年〕
② 主屋〔明治6年〕
③ 長屋門〔明治6年〕
増渕家は、大正期までは醤油・味噌の醸造業を営み、質屋も兼ねていました。
店舗の屋根裏に棟札「維明治六癸酉年九月十一日常陸國真壁郡古城村 大工増渕大学藤原宗定 戸主増渕庄吉藤原考古」が残っています。
▲登録標
▲薬医門及び塀
① 主屋〔明治初期〕
② 乾蔵〔明治期〕
③ 文庫蔵〔明治期〕
④ 薬医門及び塀〔明治期〕
中村家は、真壁で最も古い旧家として知られ、当主は代々「作右衛門」を名乗っています。江戸時代の中村家は、繰綿だけでなく、木綿や生糸・絹織物・穀物・酒・煙草など、様々な商品を扱うとともに、新宿町の名主・年寄を務め、明治期以降は、地主として酒造業、次いで荒物商や穀物商を営み、戦後は砂糖の卸売を行っていました。
▲登録標
▲店舗
▲中村裕道画集より
① 店舗〔明治8年〕
② 主屋〔明治8年〕
関根家は茨城県筑西市明野地区出身で、この地に移り住み、店舗と住居を建設して下駄屋を始めました。一時期は煙草の販売も行っていたそうです。
▲登録標