常法院の山伏と狐

常法院の山伏と狐

 昔、青木に常法院という山伏(山法師)の修験道場がありました。

 ここの山伏が厳しい修行を終えて帰る途中、青木神社の裏山にある岩屋の上に、大きな狐が気持ちよさそうに昼寝をしているのを見つけました。
 「いつも人をバカにする狐だ。今日はひとつ驚かしてやれ。」と、いたずら心を出しました。
 山伏は、そろりそろりと近づき、寝ている狐の耳元で、大きな法螺貝(ほらがい)を吹きました。
 狐は頭が割れるような音がしたからたまりません。飛び上がり転げるようにして、逃げていきました。

 このことが、狐はよほど悔しかったのでしょう。「いつかかたきをとってやる」と、常法院の裏庭に隠れ、山伏のすきをねらっていました。

 ある日、となり村の山伏がきて、「明日の晩、加波山本宮で修験の説法があるから出てくれ。」と言って帰りました。狐はこれを聞いて、「しめしめ、明日の晩が楽しみだ」と。

 近隣の山伏たちは、威儀を正して集まってきました。
 山の中腹で一行の山伏が、珍しいものを見ました。狐が大杉の根本に流れ込んだ水たまりを鏡にして、立ったり座ったり、草や木の枝を頭にのせたりしていました。
 「狐のやつ、何をしているのか・・・」と一行は身をひそめ、じっと見ていました。やがて、体をぶるぶると振るわせると、たちまち常法院の山伏になり、スーと藪の中に消えてしまいました。

 「憎らしい狐じゃないか。あんなにして人をだますんだ。来たら捕まえて、青松葉いぶしにしてやる」と相談しました。
 そんなことは夢にも知らない本物の山伏が「やぁ皆の衆、途中で変なやつに絡まれ、遅れて申し訳ない。」と、あやまりながら入ってきました。
 皆は、(とうとう狐のやつ出てきた。とっちめてやるぞ!)と思いながら、顔には出さず、平常心を装い、「いやいや、遠くからきたんじゃ、ご苦労さんです」と、一同が手をとって、御堂の真ん中へと案内しました。

 そして、背中をさすったり尻をなで回したりするので、山伏は怒って「なんの真似をするんじゃ、この野郎!」とこぶしを振り上げたとたん、皆に押さえつけられ、縄でぐるぐる巻きにされてしまいました。
 
 護摩壇(ごまだん)に焚(た)かれた青松葉で、息ができないほどいぶされ、「これ狐め!正体をみせろ!」と、こづき回されました。
 山伏は、苦しい息の下で「皆の衆、オレは狐ではない、常法院の山伏だ!」と、一心の弁解しました。
 「それじゃ、狐ではない証拠をみせろ!」と、いうので山伏は、「カンジザイボサツ、ジンハンニャハラミッタ・・・」と般若心経を唱え、狐でないことを見せたので、縄を解いてもらうことができました。

 一同は、常法院の山伏であることを知って、今までの無礼を詫びました。
 山伏は、「これには訳があるんじゃ。この間、罪もない狐が昼寝をしているのに、脅かしてやろうと法螺貝を耳元で吹いたんだ。それを恨んでのこと、悪いのはこのオレなんじゃ。」といいました。

 それからは、昼寝をしている狐を見ても、決して法螺貝などを吹かぬようにしよう、と話したそうな。

 私たちの村には、昔、キツネに化かされたという話が結構あります。
 畑の肥溜めに、キツネが言葉たくみに誘い、「いい湯だから入っていこう。」といわれ、いい気持ちで入っていた欲張り男の話。夜遊びの帰り、桜川の橋で道に迷い、麦畑の中を川と間違い、「深い、深い」と泳いでいた大尽さまのバカ息子の話など。
 また、キツネにまつわる“諺(ことわざ)”もあります。「キツネに油揚げ」、これはキツネに好物の油揚げを出したらすぐに手をつける、油断がならないというたとえで、「猫に鰹節」と同じ意味です。
 「若い男に、若い娘を預けるは、キツネに油揚げを持たせたと同じこと、一口食べたくなることよ。」という戯(ざ)れ歌と同じです。

文:舘野義久

取材協力
大関和夫さん(青木)
木村高次さん(青木)


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