真壁の登録文化財【21】~【30】


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【21】土生都家住宅[はぶつけじゅうたく]
【22】村井醸造[むらいじょうぞう]
【23】伊勢屋旅館[いせやりょかん]
【24】高久家住宅[たかくけじゅうたく]
【25】古橋家住宅[ふるはしけじゅうたく]
【26】潮田家住宅[うしおだけじゅうたく]
【27】密弘寺不動堂[みっこうじふどうどう]
【28】塚本茶舗[つかもとちゃほ]
【29】木村家住宅[きむらけじゅうたく]
【30】入江家住宅[いりえけじゅうたく]



【21】土生都家住宅


▲高麗門

① 主屋〔昭和元年〕
② 門(高麗門)〔明治時代〕

 土生都家は、真壁町酒寄の出身で、現当主の母方の実家は向かい側の根本家が本家です。根本家がこの地に分家したのは5、6代前とされています。
 現存する主屋と門は、その根本家の分家によって建設されたもので、戦後になって先代が根本家から買い取り、土生都家の所有となりました。


▲高麗門の瓦の装飾です。よーく見てみると赤い風車なんです。残念ながら今のところ、どういういわれなのか分かりません。当家の方に聞いてみましょう!


▲登録標



【22】村井醸造


▲店舗・煙突


▲中村裕道画集より

① 脇蔵〔明治35年以前〕
② 石蔵〔大正期〕
③ 店舗〔明治初期〕
④ 煙突〔昭和初期〕

 村井醸造は「公明」の銘酒で知られる。村井家初代は、近江国日野出身で、この地で酒造業を始めたのは延宝年間(1673~1680)といわれ、最も早く北関東に進出した近江商人の一人として知られています。
 現当主は17代目です。村井家は、代々日野に本宅を置き、酒造業の経営は支配人に委ねていました。この地に移り住むようになったのは昭和19年からですが、現在でも日野に住居を持っています。


▲修景前
今年、トタン塀の上から木の板を貼り付け、修景作業を行いました。茨城県建築士会桜川支部の方々によるものです。


▲修景後
こうして見比べると、とてもいい雰囲気です!いかにも酒蔵です!


▲登録標



【23】伊勢屋旅館


▲主屋


▲中村裕道画集より

① 主屋〔明治中期〕
② 土蔵〔明治中期〕

 
 伊勢屋(田中家)は、既に幕末からこの地にありましたが、2代前までは「勢州楼」といって、真壁でも最も名の知れた料亭でした。

 ここで、お酒が飲めるようになれば、一人前とも言われていたそうです。


▲登録標



【24】高久家住宅


▲店舗


▲中村裕道画集より

① 店舗〔明治期〕

 高久家が関西から真壁に移り住んだのは、16代前と伝えられていますが、当初の職種や、いつ頃からこの地に店を構えたかは明らかではありません。
 先代までは肥料商を営んでおり、現存する店舗は先代が生まれる前から存在していたそうです。


▲登録標



【25】古橋家住宅


▲見世蔵


▲中村裕道画集より

① 見世蔵〔明治18年〕
② 主屋〔明治18年〕

 古橋家は、江戸時代から代々雑貨商を営み、屋号を『つるや』と称していました。当初は、真壁の別の場所に店舗を構えていましたが、明治18年になって、現在地に店舗と住居を新築し、昭和初期まで雑貨問屋を続けました。最盛期には真壁郡全域に品物を納めていたそうです。


▲登録標



【26】潮田家住宅


▲見世蔵


▲中村裕道画集より

① 見世蔵〔明治43年〕
② 袖蔵〔明治45年〕
③ 脇蔵〔明治30年以前〕
④ 別荘(離れ)〔明治初期〕

 潮田家は、江戸末期には呉服・荒物・雑貨商を営み、明治時代には業務を一段と拡張し、土浦の豪商と親戚関係をもち、その商圏は、八郷・旧筑波・大穂・岩瀬に及び、いつしか「関東の三越」と呼ばれるようになりました。当時の主要な建物はそのまま現存しており、往時の隆盛ぶりが偲ばれます。


▲脇蔵


▲登録標



【27】密弘寺不動堂


▲不動堂


▲中村裕道画集より

① 密弘寺不動堂〔天保11年(1840)〕

 熊野山不動院密弘寺は、真言宗の寺院であり、宝治元年(1247)、恵寿僧都が開山したと伝えられています。
 境内から良質の水が湧き出ていたことから「名水不動」とも呼ばれ、かつては清酒の醸造用に利用されたといいます。
 江戸中期に15世築法が護摩堂や客殿などを建立したことが知られていますが、天保8年(1837)に火災で焼失し、堂宇はその後再建されました。
 密弘寺の縁起によると、現存する不動堂も天保11年(1840)の再建と記されています。


▲門前


▲登録標


▲密弘寺のけやき

密弘寺のシンボルとなる大木で、樹齢も最古木の一つと推定されています。町屋の大火を免れて今日まで生き続けています。



【28】塚本茶舗


▲脇蔵


▲中村裕道画集より

① 脇蔵〔明治中期〕

 この地は、明治期には飯塚家の屋敷があり、『肴屋』と称する呉服店を営んでいたと伝えられています。土蔵は、飯塚家が建てた文庫蔵であり、既に明治中期には存在していたことが知られています。
 塚本家がこの土地・建物を買い取って進出したのは昭和10年代のことで、当初は塩の卸商を営んでいたましたが、戦後になって新たに茶舗を開業したといいます。


▲登録標



【29】木村家住宅


▲中村裕道画集より


▲見世蔵

① 見世蔵〔嘉永6年(1853)以前〕
② 主屋〔嘉永6年(1853)以前〕
③ 門〔嘉永6年(1853)頃〕

 木村家は、江戸時代中期に分家してこの地で油屋を営んでいました。明治5年に真壁町屋郵便取扱所を開設して以来、近年に至るまで4代にわたって真壁町の郵便局長を務めました。
 明治32年には、同家敷地南側に木造局舎を建設し、昭和31年からは御陣屋前通りのやや北寄りにあった旧国立第五十銀行建物を取得して局舎としました。


▲登録標



【30】入江家住宅


▲主屋


▲中村裕道画集より

① 主屋〔大正15年〕

 入江家は、代々この地で粉屋を営んでいましたが、先々代が商売をやめ、著作業に転じ、この住居を建築したといいます。入江家ではその後も住居として使用していましたが、戦後はパチンコ店や花屋に1階の表2室を間貸ししていました。


▲登録標


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