将門伝説【8】

将門伝説【8】

将門異聞記

 大国玉三門(みかど)(古くは御帝(みかど)の説)にある五輪塔は、将門とその一族の墓であるという説を、後世になり将門を慕う人々によって建立された供養塔ではないのか、など諸説がありますが、この地の人は、将門の墓と信じて今日まで供養の香華(こうげ)を絶やさず守り続けてきました。

 明治・大正・昭和の初期にかけて、この墓は「徴兵逃れ」、「召集逃れ」の神仏として密かに信仰され、粗末にすると祟りがあるとも伝えられてきました。

 特に、昭和に入り戦争も激化し、敗戦の足音が間近に迫った頃、召集令状という一枚の赤紙によって徴兵され、一家の大黒柱を戦争で失った家は、数少なくありませんでした。

 この召集という形の徴兵から逃れたいと考えた人たちは、弱き者の立場から当時の朝廷と雄々しく戦った古代の英雄将門に、徴兵忌避(きひ)の証を託したと思います。
 「奉納、平親皇様」と書いた幟旗(のぼりばた)と大切な銀貨を供えて、「どうぞ召集令状がこないように」と願掛けしたのです。

 民衆は、押し寄せる権力に抗し、「藁をも掴む思い」で、将門伝説、現世利益(げんせいりやく)に切なる願いを託したのです。

 私たちの生きた戦争の時代、将門は歴史中で民衆の味方として生き続けてきたことに、深い感銘を覚えました。

 歳月は人間の恩讐(おんしゅう)を越え、その人物に新たな息吹きを与えます。
 平将門は、当時の組織や制度の中で圧殺され、千年余りの長い間、反逆者として歴史の彼方へ追いやられていましたが、自然と歴史に真実の姿を求めようとする人々により、正当な座を与えられ現代によみがえってきました。

 人間らしい感情を吐露し、常総の大地で生きた将門、彼の愛した筑波の山並み、愛妻「君の前」との哀歓は、私たちの郷土「大和」の風土の中に、昔を今に伝えています。

 しかし、今次の大戦は大国玉にも暗い影を落としました。字平や字前原など将門遺跡と深い関わりのあった地内に、飛行場が作られ多くの遺跡が煙滅しました。

 明治36年生まれの古老は、「ここの飛行場には、飛行機がたった一機飛んできただけ。それも着陸すると、隠すために格納するところまでは、燃料を節約するということで、牛に引かせるという有様。飛行場作りで出た松の根っこから松根油を取って、それを飛行機の燃料にしたんだ。これでは戦争に勝てるわけはないと思っても、それを口外などしたら、それこそ大変、警察沙汰になる。多くの戦死者を出す戦争など、まっぴらごめん。平和がいい。」と元気に語ってくれました。

 今、大国玉の台地に立ち、遠く平安の昔を偲び、関八州を平定した将門の夢、それは東国独立への夢でした。その夢跡を探ると、不思議と生きる力が湧いてきます。

文:舘野義久(大和村教育委員)

取材協力
太田良正さん(宮)
相澤六兵衛さん(前原)


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