真壁の祇園祭

真壁の祇園祭

 真壁の祇園祭は,真壁町山尾字芳ヶ谷に鎮座する五所駒瀧神社の御神体を、神武社のお仮屋(大和町:神武天皇遥拝所)へ遷座させて行う夏祭りで、真壁地区の夏の風物詩です。
 以前は駒瀧明神六月祭典といったようですが、明治末か大正初期に現在のように祇園祭と改称するようになりました。また、駒瀧明神六月祭典は五穀豊穣を祈願した祭りです。
 町内の4台の山車が粋で威勢の良い若衆達に曳かれて、夏の夜に繰り出します。

◇期間◇  毎年 7月23日~26日
  23日 神輿渡御  (午後4:00出発)
  24日 子供曳き回し(昼)
  25日 若衆曳き回し(午後6:50~10:00)
  26日 還御    (午後6:50~10:00)


(1)歴史

 真壁の祇園祭は,真壁町山尾字芳ヶ谷に鎮座する五所駒瀧神社の御神体を、神武社のお仮屋(大和町:神武天皇遥拝所)へ遷座させて行う夏祭りです。
 
 以前は駒瀧明神六月祭典といったようですが、明治末か大正初期に現在のように祇園祭と改称するようになりました。また、駒瀧明神六月祭典は五穀豊穣を祈願した祭りでもあります。

 祇園祭がいつごろ始まったかは定かではありませんが、この起源については町年寄り大関左衛門が各町名主に呼びかけて、町づくりの一環として町屋村の鎮守である駒瀧明神の御神体を遷座する祭礼を創設したものと伝えられています。

 現在のの祇園祭は、正式には祇園祭臨時祭典です。祇園祭本祭典(本祇園)は大正12年に行われたのを最後に、関東大震災と不景気の影響で中止されたまま現在に至っています。

 本祭典とは当番町が屋台を出して、この屋台の上で「娘道成寺」と「小原女奴」からアレンジした「花笠奴」という花笠踊りが披露されます。この「花笠奴」は本祭典の象徴である花笠を使用するところから「花笠奴」で祇園祭の幕が開き、「花笠奴」で幕が降りるといわれていました。本祭典の当番町引継は花笠の受け渡しによって行われていたといわれますが、現在この花笠は現存しません。

 最後の本祭典の当番町は新宿町でした。次の当番町である下宿町は、最近まで祇園祭典神輿渡御についての各町幹事協議会の開会に先立ち、本祭典延期の年延べ挨拶を行ってきましたが、現在その下宿町に幹事制度が無くなってしまったため、本祭典について触れる町内がなくなってしまいました。

 しかしながら、古い形を今日に受け継いだ伝統ある祭りであり,現在もさまざまな慣例に基づいて行事が進められています。

(注1)  神輿渡御:お仮屋へ向かうこと。
(注2)    還御:五所駒瀧神社へ帰ること。


(2)幹事制度の仕組みと役割
祭典の運営

 歴史で述べた、古い形を今日にとどめる伝統ある祭とは、祭典の運営一切が任される「幹事(世話人)」「中老」「大老」といった幹部制度と、町内間に設けられている序列制度です。
 幹部制度は町内において縦のつながりであり、序列制度は町内間の横のつながりです。この縦と横のつながりがお互いにかかわり合って、真壁の祇園祭を今日まで続けさせてきた要因にもなっています。また、これらの制度は永久に祭礼を継承させるための祖先の残した知恵ともいえます。

 各役の任期は4年であり、「幹事」は任期満了とともに「中老」「大老」といった段階で昇格します。各町幹事協議会に出席したり、祇園祭典中に各町間の交渉をしたりする役目は幹事に任され、幹事の行為は各町内を代表しているという大役でもあります。 

 しかし、実際には幹事の地位からみて、中老・大老が幹部であるため、中老・大老の指導を仰がなければなりません。また、各町間の協議会等において提出される議題は、たとえ一つの町内でも反対があると議題が成立しないという合議制のもとで運営されています。

 さまざまな慣例に基づいて行われる中で、もっとも厳格なのは各町の序列です。

 祇園祭典中の序列は、年功序列(古参順)には関係なく、高上町が上座につきます。これは本祭典の当番が高上町に引き継がれていないためです。これを「建制順」と称している序列であり、高上町・仲町・新宿町・上宿町・大和町(当番無し)の順となっています。

 祇園祭典は幹事が運営しなければなりませんが、行事進行上の中心は輪番制で行われており、祇園祭は4年周期で当番町が一巡します。


(3)祇園祭典の見所
幹事(世話人)制度と山車の運行)

①幹部の見分け方

◆「大老」、「中老」
 黒絽の紋付羽織・白足袋・下駄 丸弓張り提灯
 夏物の着物に黒い絽の紋付羽織、白足袋に下駄を履く。
 丸型の弓張り提灯を持つ。
 これらの羽織や提灯につける紋章は家紋を使用できる。
 祭典中幹事に話している内容は、祭典運営上の指導である。

◆「幹事(世話人)」
 カンカン帽子・浴衣・紋付き黒羽織・白足袋・草履・筒型提灯
 カンカン帽子を被り、各町毎に揃いの柄の浴衣、その上に紋付(紋章は町印紋で五つ紋)の黒羽織を着る。
 白足袋で白い鼻緒の草履を履く。
 「○○町世話人」と役柄を表示した筒型の弓張り提灯。
 この提灯は幹事が公の行動をとるとき必ず持参しなければならない。

◆「月番」
 幹事と似ているが紋付羽織の紋章は三つ紋。
 「○○町月番」と役柄を表示した筒型の弓張り提灯。
 月番の役割は幹部の世話役・幹事の補佐であり、幹事に指示された役目をしなければならない。
 祭典中、時々、月番が走り回る姿を見かける時があるが、その時は幹事に指示された緊急の役目を果たしているのである。

②祭典中、幹事は雨が降っても傘はさせず雨宿りもできない、休憩中に座ることができない、といった不文律があります。これは、幹事が、幾多の試練に耐えられてこそ大きな責任を果たすことができるという証です。合議制のもとでの各町間の行動とともに祇園祭典の運営が安全かつスムーズに進行できる最大の理由です。大きく重たい、しかもブレーキも付いていない山車が事故も無く運行しているのを見ていただければお分かりの事と思います。

③渡・還御の時、神輿の後ろに幹部(山尾氏子総代も同行)がいますが、これは当番町挨拶にあるとおり、御霊社がお仮屋まで途中恙無く(つつがなく)無事到着するように警護・指導するためについているのです。

④山車は、昼間は子供が引き、夜は大人が引きます。かつては山車と山車の打ち付けあいが行われる勇壮な祭でした。暴れ山車・喧嘩山車と呼ばれる由縁であり、現在でもその当時を偲ばせるのに十分な山車運行内容であります。

⑤7月26日、祇園祭典が済むと神輿は還御しますが、神輿を少しでも長く町内に留めておくために山車で通路を妨害する様子は真壁祇園祭典の最高の見せ場です。そしてクライマックスは午後10時、古城旧南踏切(旧真壁町と旧古城村との村境)、祭の終幕の口上があり祇園祭典の終幕となります。


▲カンカン帽をかぶった世話人(幹事)が、渡御、還御に同行し運行の世話をします。


(4)山車運行日程

■7月23日 渡御
 1.五所駒瀧神社出発   午後4時
 2.お仮屋到着      午後7時頃
 ☆各町の山車は歓迎のため各町にて出迎えます。

■7月24日 
 ☆各町で子供による曳き回し後、午後6時に真壁町商工会前に4台の山車が集合します。

■7月25日 若衆曳き回し
 ☆各町若衆によって、山車が4台揃って各町内をめぐります。

若衆曳き回し順路
※当番町によって毎年変わります。

参考:上宿町若衆での事例
午後
 6:50「榎本家」出発
 7:30「大吉屋」右折
 7:40「平井ポンプ店」右折
 8:10「大貫屋」左折→「中座家」Uターン→「常陽銀行」休憩
 8:40「若松屋」右折
 8:50「中又宅」右折
 9:10「武蔵屋」右折
 9:30「稲葉家」手打ち(解散)

■7月26日 還御
 ☆山車の運行については、前日に行われる各町幹事協議会にて正式決定するため、あくまでも予定です。しかし、前記のとおり、還御順路上の神輿前方には必ずその町内の山車がいます。

 1.お仮屋出発    午後6時50分
 2.順路       
 3.解散場所     古城(旧)踏切
 4.解散時間     午後10時

◆原文は、旧真壁町商工会青年部作成資料を元にしています。
 関係者のご協力に感謝いたします。